IGPI VOICE

「合理」と「情理」の両輪で組織を動かし、会社を経営する

吉田 元

関東自動車 代表取締役社長
グループディレクター(みちのりHD)

2008年2月入社

IGPIグループ経営

絶対にバスは止めない。地域の足は必ず守る

私は、メガバンクやハイテクベンチャーを経て、2008年2月にIGPIに参画し、入社2日後には福島交通の再生支援の現場にいました。私がアサインされたのは、福島交通が会社更生法の申請準備に入ったタイミングで、予想される様々な混乱を事前に想定し、事業価値の毀損を極力回避すること、そして、バスを止めずに地域の足を守ること、それが当時の私たちの役割でした。その中で私がメインで担当したのは、福島交通とその子会社の資金繰りです。銀行員時代に資金繰りを検討したことは何度もありましたが、プレッシャーのレベルが違います。私の想定がもし間違った場合には、例えば軽油の仕入ができずにバスが燃料切れで止まってしまうかもしれません。残された資金には限りがあり、優先順位をつけて、何を諦め、何を生かすか、まさに選択の連続でした。

今では笑い話で済むのですが、例えば、「会社更生法の申請後に高速バスがETCを通過しようとした際に、ETCのバーが開かなかったらどうするか?」。契約上はETCが直ちに使えなくなる可能性があり、ETCの前でバスが立ち往生する事態も想定されました。そこで申請日の当日に、高速バスの運転士に対して「今日のETCには注意して欲しい。もしバーが開かなかったら、この現金で対応するように」とだけ伝え、運転士に予備金を持たせることまでしたのです(実際にはそのままETCを通れたため杞憂に終わったのですが・・・)。

福島交通が会社更生法を申請した際、地元のテレビや新聞ではトップニュースとして報道されましたが、大きな混乱もなくバスは平常通りに運行され、その様子を確認した当時の役員が「吉田さん、バス動いているよ。」と泣きながら喜んでくれた姿を今でもはっきり覚えています。

一刻も早くバスを復旧させるために力を尽くす
~震災対応、その時~

その後、IGPIの様々なプロジェクトを経験した後、10年より再びみちのりプロジェクトに関与するようになりました。そして決して忘れることのできない東日本大震災が起きたのです。

11年3月11日、午後2時46分。当時秋葉原にあったIGPIのオフィスに戻った直後、非常に強い揺れを感じ、慌てて付けたテレビには東北の惨状が映し出されていました。当時のみちのりグループは、福島交通、茨城交通、岩手県北バスの3つのグループから構成されていましたが、現地の会社とは連絡がとれず、被災程度がわからない中で、メンバー間で役割分担をし、急遽現地入りすることに。その際、グループ全体の代表を務める松本からの「これからは我々の間の連絡すらとれなくなる。現地に入って必要だと思ったことは、その場で即断即決するように。社員や家族の安全を最優先にしつつ、公共交通事業者としての使命をできるだけ全うすること。短期的な財務の健全性は一切気にしないで良い。」との言葉を受け、私は盛岡市にある岩手県北バスの本社を目指しました。とにかく少しでも現地に近づこうと、秋田行きのフライトを見つけて飛行機に乗り、そこからは同僚の親戚の車を借りて盛岡市の本社に向かいました。途中大量の救援物資を仕入れながら本社に到着し、社員の無事を確認した後、三陸沿岸部の状況を確かめるため、岩手県北バスの幹部と二人で、後に激甚被災地に認定された宮古市にある宮古営業所を目指しました。震災直後は盛岡市と宮古市を結ぶ幹線道路は一般車両通行禁止区間があり、盛岡市と沿岸部の往来はまだできない状況でしたが、大量の救援物資を載せたバスで規制場所に向かったところ、「県北バスさんなら良いです。」と特別に通してもらい、震災発生から2日後の13日には宮古営業所に到着することができたのです。私はその時、岩手県北バスが永年にわたって築き上げてきた地元における、絶大な信頼感を痛感しました。

やや高台にあった宮古営業所自体は無事であったものの、津波はすぐそばまで来ていました。それからは、激しい余震で営業所が倒壊しそうになる中、一刻も早く被災地に人と物資が届けられるよう、高速バスの復旧に全力を尽くしました。携帯電話が繋がらない中で、たまたま盛岡市の本社と繋がった際に、「これを切ったら二度と連絡がとれないかもしれない」と思い、24時間通話を維持しつつ、本社側と共に臨時ダイヤの作成にあたりました。辛うじて通信インフラを確保できたこと、当時の宮古警察署長を説得して、岩手県北バスの高速バスをどこよりも早く緊急車両に認定してもらったことなどが奏功し、震災発生から5日後の16日には宮古市と盛岡市を結ぶ高速バスの運行を再開、更にその2日後の18日には宮古市と東京を結ぶ高速バスの運行も再開することができ、いずれも震災後に激甚被災地と内陸部の中核都市や首都圏とを結ぶ初めてのバスとなりました。

未曾有の事態で求められるのは、「今やるべきこと」を瞬時に判断してやり切る現場力です。バスが走り、各地域とつながることで、物資はもちろんのこと、被災地の方々に安心感や生きる力を少しでも与えられたのではないかと考えています。

家族や社員、社会に対して誇れる意思決定をする

みちのりグループの復興支援業務に従事した後、栃木県最大のバス会社である関東自動車の買収案件を統括、12年4月には同社の取締役専務執行役員に就任しました。その後、隣接する東野交通の買収案件も統括、16年12月からは同社の取締役専務執行役員も兼務し、18年10月に両社は合併(経営統合)を実現しました。

社員1,000人を超えるバス会社の経営に携わっていると、コンサルティング会社がよく使う“ファクト”や“ロジック”といった言葉を振りかざしても、誰も動きません。経営者としてはそうした“合理”の部分は当然のことですが、これまでの経験を通じて培った“情理”や“胆力”といった部分も欠かせません。結局のところは、総体として、この人の言うことを聞いた方が良い、聞かなければならないと思ってもらえなければ、組織は動かないのです。

また、バス会社の経営者として日々様々な意思決定をする立場にありますが、判断に迷ったときには「家族や社員、社会に対して誇れるか?」、まだ孫がいるような年ではないものの、「今やろうとしていることは子や孫に対して平易な言葉で語れるか?」といったことを自身の判断基準にしています。これらはIGPIに参画以降、様々な経験や出会いがあり、自分の中に少しずつ出来上がってきた判断基準であり、これらを大切にすることで意思決定のブレが少なくなったように感じています。

関東自動車そしてみちのりグループ全体を更に発展させ、地域の交通、観光産業へ貢献をしたい、私のチャレンジはまだまだ続きます。

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