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「産学協同型教育」の可能性 ―長い時間軸でアカデミアとビジネスの接続に挑む

IGPIは寄付企業の1社として2021年開講の東京大学工学部「アントレプレナーシップ教育デザイン寄付講座」の企画・運営を支援してきました。受講した永代友理さんとプラート・アルヴィンさんに、IGPI村田幸優が本講座や修了後の活動について聞きました。

学部間を越境し、学生同士がつながる講座

村田 多くの大学でアントレプレナーシップ教育が行われていますが、研究開発型スタートアップ(いわゆる「ディープテック起業」)に焦点を当てたものは少なく、そこでは適用する産業分野の知見や現場解像度を上げる機会、資金調達への道筋など、産学協同でしか提供できない教育があると思っています。本講座は、秋学期は院生向け、春学期は1、2年生向けに開講し、優秀修了生にはDICE(Deep Innovation Creation Ecosystem)というコミュニティに招待し、勉強会やイベント、海外研修、自分の事業を進めるための壁打ちなどの機会を提供し、つながりを維持してきました。永代さんは博士3年生、プラートさんは学部生のときに受講しDICEでも活躍していますが、どんな動機で参加したのでしょうか。

永代 医学部では、卒業後に初期研修と後期研修を経て、それぞれの診療科の専門医になるルートが一般的です。私は初期研修を行う中で手技の教育に興味を持ち、後期研修に進むのではなく大学院に進学し、手技教育を支援するシステム・アプリケーションの研究開発に取り組みました。研究成果を論文にして終わるのではなく、将来的には現場の先生方に活用してもらえるものを作りたいなと。現場で使ってもらうにはプロダクトとして販売する必要があり、そのために会社が必要なようだけど、そこまでの道のりを具体的に思い描けなくて悩んでいたときに、工学部でアントレプレナーシップ講座が開講されるのを知って、「これだ!」と思って応募しました。

プラート 私は東京大学理科二類の2年生のときに受講しました。私は小学6年生の頃から将来は古生物学者になろうと一途に思ってきました。一方で、高校時代に「世界津波の日」高校生サミットに総合司会として参加して、国際社会に向けて訴えかける経験をしたときに、そういう活動に熱くなれることにも気づきました。古生物学へのパッションと社会に関わりたい自分という分岐した2つの軸を統合する方法を探す中で、技術とその社会実装を謳ったこの講座に出会い、ヒントが見つかりそうだと思って参加しました。

村田 2人とも工学以外を軸足とする立場から受講されていますが、大学での活動はその組織構造上、学部間越境が意外に大変です。この講座も工学部主体ながら、学部をまたいだ活動ができるように初期から意識しています。講義やDICEではどんな経験をして、その後にどのようにつながっていますか。

永代 ディープテックからソフトウェアまで、幅広い分野のスタートアップの社長の話を初めて聞きました。みんな紆余曲折を経て今の時点に到達していることを知り、私も自分のゴールを目指して頑張ろうという覚悟が初めてできました。
DICEのコミュニティでは、行動力のある学部生がフィールドワークにどんどん行くのを見て、研究室に閉じこもらず、もっと外に出ていくべきだと学びました。それから、プロダクト開発経験のあるエンジニアや、ビジネス系ではVCのインターンをしている方と知り合い、相談相手ができました。私が今、医学系研究科で特任研究員として研究を継続できているのも、そのつながりがあったからだと思います。

プラート 講座を通じて、自分のビジョンや気持ちを言語化する機会が多く、フィールドワークで研究室にお邪魔したり、現場に行っていろいろな人と話したりする中で、自分の目指したい先が見えてきました。
東大には、1、2年生は教養学部で、3年生に志望の学部を選択する「進振り」という制度があります。それまでは、古生物学の研究を続けるなら理学部、社会実装やディープテック起業なら工学部の二者択一で考えていましたが、工学部システム創成学科には、工学から理学まで一気通貫で研究できる宇宙地質学を学べる機会があることを知ったのです。
今は、工学部に在籍しながら、理学部の地球惑星環境学科の授業も両取りしています。ほかには、学生団体としてLab-Cafe(ラボカフェ)の代表をしたり、DICEで渉外をはじめとしたマネジャー的な役割を務めたり、東大地質部でも副部長として活動しています。

疑問を持ちつづけ、アカデミアとイノベーションの両立に挑む

村田 医学領域でプロダクトを開発して起業を目指す人が少ない状況で、永代さんはなぜそのルートを選んだのでしょうか。

永代 今の医学部生は起業も選択肢に含まれていますが、私が医学生の時には、まだ少なかったように思います。私は元々、研究や、研究成果を医療現場に還元していくことに興味を持っていました。初期研修を行う中で、医師の手技教育に課題を感じ、解決したいと強く思ったので、このルートを歩き始めました。
初期研修が終わって大学院に進学すると言うと、それはいいと応援してくれる方もいれば、自分で外科手術をしないのに、手技の教育の研究などできないだろうと言われることもありました。どちらも正しいと思いますが、後期研修を受けて外科医になる過程で環境に慣れてしまい、疑問を持てなくなるかもしれないと思ったことと、工学的知識をつけるならば早い方が良いだろうと思い、大学院進学を決意しました。
今、外科医の先生と話をすると、新鮮な目で見てもらえます。医療の深い話ができるけれど、指導医とTrainee(修練医)という関係でもなく、手技教育をどうしていくべきかという課題に対して一緒に取り組めていると感じます。

プラート 今の話を聞いて連想したのが、アカデミアとビジネスのバランスをとることの難しさです。ディープテック領域は博士号をとってアカデミアの理解をもとに社会実装するのが1つの形ですが、アカデミアに誠実であればあるほど、既存の枠にはまって、イノベーティブな感覚が鈍ってしまう可能性がある。疑問を持つことはイノベーションのきっかけになると思いますが、実力がなくまだまだ勉強する立場では、違和感を持っても、未熟さで片付けられてしまうことがあります。

村田 すごく示唆のある話ですね。企業でも同じで、「昔はこうだったからこうなる」という経路依存性が強く、「疑問を持つのは未熟だからだ」と片付けて、気づかない間にイノベーションの芽をつぶすことになりがちです。それを避けてイノベーションを応援するために大事なのは、フラットかつ謙虚になること。まったく異なるものに対して想像力を働かせ、敬意を持つ必要があると感じます。私は今、学生を相手にしていますが、講義中の課題の出し方1つで何かを制限してしまうかもしれない。だからこの2年間は、いかに天才の邪魔をしないかということを意識してコミュニティの設計をしてきました。
とはいえ、アカデミアとビジネス思考を両立させるのは、口で言うほど簡単ではないですよね。

プラート 実は、DICEの海外研修に参加して、フィンランドの起業家と話したときにも、”You cannot have two babies at once.” と力説され、両立は難しいから博士への進学なんてやめておけと言われました。そのときに逆に、「反例になろう。視座高くそれをやり遂げるのが自分の仕事だ。」と思いました。
専門的な基盤をすっとばして研究を語ることはできてしまいますが、それではアカデミアでは何者にもなれない。ただ言っているだけの人になってしまいます。しっかりと学問的に価値ある研究にすることが大切ですので、学部以外の場所でも、自分が学べる場所や機会を積極的に探しています。たとえば、DICEのフィールドワークで出会った名古屋大学の地質学の先生と、学生アイデアファクトリーという機会をきっかけに共同研究を始めました。大学の枠を越えて、いろいろな人から刺激を受けて研究に活かすことで、学問を追求する自分も大事にしたいと思っています。


↑日本科学振興協会「学生アイデアファクトリー2023」にて、DICE学生の研究アイデアが、優勝、準優勝、ポスター賞を受賞。

村田 ディープテックで社会実装や起業に意識が向きすぎると、自分は研究や学問を蔑ろにしていないか、と怖くなることはよく分かります。講座で受講生の最終発表に対して、講座代表の坂田一郎教授が「皆さん、素晴らしい発表でした。でも、もっと論文を読みましょう」とコメントしていたのが印象的でした。起業を目指す場合、早く実装したり資金調達できたりする人が評価され、キラキラするようにも見えますが、特に学生はそれに惑うことなく、サイエンスに真摯になって勉強・研究を積み重ねることは大事です。将来アカデミアとビジネスのどちらかに軸足を置くことになっても、その積み重ねは、両者の間を繋ぐコミュニケーションの基礎になるはずです。

永代 私が悩んでいるのは、研究成果をあげる方向と社会実装の方向に違いがあることです。研究では、新規性や進歩性が求められますが、現場で解決されていないニーズに対応するには、必ずしも学問的に新しくなくてもいい。特に医療では他分野から応用すれば、新規性があり、現場でも価値が生まれるような特性があります。そのバランスのとり方がすごく難しくて、答えは見つかっていません。

個人の知見を共有し、集団として強くなる

村田 それでも立ち止まらずに、永代さんはプロダクトの開発・研究を今も続けられており、助成金も複数取得されています。どのように進めたのでしょうか。
永代 最初のアイデアは、オープンラボでAR(拡張現実)を使ったボルダリングのトレーニングを見て、これは医療の手技に使えるなと思ったことからスタートしました。そこで論文を調べ、誰もやっていないようだと感じたので、プログラミングをゼロから勉強しました。システムを試作し、論文発表や特許出願を行い、不完全でも形にしたことで、エンジニアやビジネス系の人と話しやすくなり、課題やビジネスを考える土台となりました。本格的なプロダクトにするためにはエンジニアの力が必要で、そういう人に頼むにはお金が必要です。そこで利用できる助成金を探して申請書を作成しました。書類の書き方もDICEのコミュニティで知り合った人からアドバイスを頂くことができ、とても勉強になりました。
プラート 誰かが持っている知見を広げて集団として強くなることは重要です。先ほどの学生アイデアファクトリーでの経験も、その過程で考えたことを全て記録して共有しました。誰かが挑戦したことを伝えて、後輩が刺激を受けて、また挑戦し、さらに上に行ける。そういうループができれば、個人戦ではなく集団として強くなれますよね。
村田 2人は、学生の先輩として後輩を支援するBridging Tutor(ブリッジング・チューター)を務めてもらいましたが、後輩に残そう、支援しようという動機はどこにあるのでしょうか。
プラート 自分がたくさんGIVEしていただいた自覚があるからです。自分もさらに頑張って成長して、その中で残せる足跡を残す。そのような想いが集合することが、意味あるコミュニティを成立させる要件だと思います。もう一つの動機は、自分の経験を振り返って、しっかり言語化しアウトプットを出す大切さを実感していることです。虎の巻をつくる過程は一見他者のための行為にも見えますが、実は同じだけ自分のためになっているのです。自分が将来語る言葉は、整理された過去の自分が形作っていくのだと思っています。
永代 私自身が何をGIVEできているのかはわかりませんが、私の取り組みを見て、年齢に関係なく、起業にチャレンジできることが伝わるといいなと思います。あまり焦る必要はなく、いろいろな道があっていいのだと。

村田 今後はどんなチャレンジをしたいですか。
永代 将来的に開発したプロダクトを実用化し、現場の先生方がそれを使ってトレーニングすることで、患者さんにより安全で高品質な医療を届けられるようにするという目標に向かって、チャレンジを続けたいと思っています。
プラート 自分が研究を進めたい宇宙地質学は人類のフロンティアであり、学問的な面白さに加えて大きなビジネスチャンスも秘めています。まだこれからの学問ですが、10年後、20年後にきっと日の目を見て、社会を動かす未来が来ると思っています。そのために今できるのは、アカデミア、ビジネス、政治の3つの軸で力を蓄えることかなと。
政治というのは、社会を変えていく力。来たるべきパラダイムシフトのときに行動を起こせるように、適切なタイミングで必要な人とつながっている状態をつくっておこうと思っています。特にDICE を通じて、普段は遠いと感じる大企業や産業と関わることができるだけでなく、東大の総長などの意思決定層との距離が縮まりました。先日の国際卓越研究大学採択審査の際には、学生代表としてプレゼンを行うなど、大学の変革にも影響を及ぼせることを感じる貴重な経験ができました。これからも「環境は自分で変えられるのだ」という手応えを大事にしながら、いろいろな経験を重ねて、妥協せずにアカデミアとビジネスを突き進んでいきたいと思います。

村田 今日は、産業と学生、大学の本部と学生、世代、アカデミアと社会実装など、いろいろなブリッジングの話が出てきました。その間の垣根は意外に少なくて、上下や年齢に関係なくフラットになれば、実現できることは多いと思っています。そのための媒介になり続けることが、私個人のライフワークや、人生においても1番インパクトが大きく、何よりもそれが楽しいと思っています。この講座を起点に、研究を社会実装するインフラ、教育という形のインフラを大学内外でもっと拡げていければと思っています。

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