IGPIプロフェッショナル紹介

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玉木 彰

ディレクター 2010年8月入社

支える仕事がしたい!
国家公務員から事業再生のプロへ!

国や人の暮らしを支えるために
国家公務員に

 防衛省から外資系コンサルティングファームを経てIGPIへ。異色の経歴と思われるかもしれませんが、共通していえるのは「支える仕事」だということ。学生の頃から漠然と「自分は縁の下の力持ちのような存在でありたい。その観点で仕事を選ぶべきではないか?」と考えていました。
 そこでまず就職先として考えたのが銀行です。「経済を支えているのは銀行ではないか」という当時の単純な発想でした。ただ、さらに突き詰めて考えれば、国や経済、人の暮らしを根底から支えているのは、実力組織を持ち安全保障を担っている防衛省ではないかという考えに至りました。
 そうして国家公務員になり入省したわけですが、支えるべき肝心の表舞台のことがよくわからない、それで本当によいのか、という思いが次第に強くなっていきました。悩んだ結果、外に出ようと。原則として官僚は一度辞めるとそれっきりの世界ではありますが、思いきってアプローチを変える決断をしました。
 社会人として3年余りが経っていましたが、外に出て即戦力にならないことは十分承知していました。一気にキャッチアップするには、多様なテーマの案件にハイペースで取り組む戦略コンサルがもっともふさわしい。そう判断して飛び込んだのが外資系戦略コンサルティングファームです。

真に企業と地域に資する仕事のために、
やるべきこと

 私が入社したのは米系の戦略ファームで、常にストレッチが求められるチャレンジングな環境でした。そこで大きく成長できたのは間違いありません。一方、守備範囲が実に明確で、財務諸表でいうとPL(損益計算書)の「営業利益」より上の部分。加えて、クライアントも大手企業限定。次第に限界を感じるようになりました。高度に分業化されたスコープの明確な世界でプロフェッショナルとして深めていく・極めていくというのも、一つのあるべき姿だとは思います。ただ、私はそこをゴールとすることに違和感を覚えたのです。
 コンサルとして4年半、ベースは築いた。これからはそこを軸にしつつ横幅を広げよう。再び転職を考えたときにあらためて思ったのが、生まれ育った地域のこと。いずれは戻って、地元に資する仕事がしたい。そのために今、何をすべきか。官僚として行政の内部に触れた。戦略コンサルとして企業の成長戦略・事業戦略も種々サポートした。次は事業再生。事業面のみならず財務面、組織面等、企業経営のあらゆる側面に精通することが求められる世界であり、さすればこそ出来ることがある。ひいては地域活性化に必ず役に立つ。IGPIに転職を決めた理由は、まさに事業再生を手がけたかったからにほかありません。
 IGPIに入社して1年ほど過ぎた頃、再生案件のプロジェクトマネージャー務める機会を得ました。業績の低迷する製造業の会社に構造改革を施し、ターンアラウンドの道筋をつけるというものです。すべてがチャレンジ。けれど、登る山が高ければ高いほど燃えるタイプ。スペシャリストたちを束ねながら、クライアントの中に深く入り込み、プロジェクトを進めていきました。事業計画を作り上げ、再生の目処が付いたところで、突然、その日はやって来ました。

事業再生をフルパッケージで経験

 主要工場が天災に遭い、一気に資金繰りが悪化。緊急的に止血のうえ、更に新たな資金を投入しなければ、Xデーは秒読みという事態に。 経験値の高い上司からの助言も得ながら、あらゆる手を尽くしました。正直その時はまだわからないことだらけ。学んで、すぐに吸収して、現場で出して。そのくり返しです。この会社にとって何がベストなのか? ときに口論になりながらも、会社とは徹底的に議論しました。関係者は多岐にわたりましたが、折衝に折衝を重ね、全員が同じ方向に向くように粉骨砕身の日々でした。薄っぺらい妥協論ではない、クライアントとステークホルダー双方にとって最善の解を導き出そうとしました。 最終的に誰もが納得する事業計画を策定し、ある企業の傘下に入ったことで、なんとか苦難を乗り切り、この会社は生き残りました。いや、生まれ変わったといったほうがいいでしょう。やるべきことをやりきった後にはいい風も吹き、業績は好転。あれから数年を経た今でも高収益を維持しています。会社からも大変感謝され、私の成功体験のひとつとなっています。
 事業再生は結果が必ず見えるリアルな世界。怖さもプレッシャーもとてつもない。それは経験を積んだ今でも変わりません。けれど、いい意味でそれが私の原動力になっていますね。