武藤泰典
福島交通株式会社 代表取締役社長
株式会社みちのりホールディングス グループディレクター
2007年4月入社
地域経済の発展に向け公共交通ができること
会計士としての経験があるからこそ、今がある
自分の作った事業計画は「本当に実行できるものなのか?」「事業価値向上に寄与するものなのか?」 監査法人で会計士として社会人生活をスタートさせた私は次第に疑問を抱き、自分で事業の経営をしたいと思うようになりました。そんなときに知人経由で知ったのが、政府系ファンド産業再生機構の存在です。「再生支援した先にハンズオンで経営・事業の立て直しを行う」という仕組みに共感を覚え、産業再生機構に参画。参画後は、すぐに熊本にある某運輸会社に赴きました。2年後に当該運輸会社の再生は無事に完了し、産業再生機構としての役割は一旦終えたのですが、その時に当社より「社員としてそのまま残らないか?」とお誘い頂き、支援先運輸会社の経営に引き続き関与することになりました。しかし、家庭の事情で東京に生活拠点を戻すことになり、再び転職を考えていたときにIGPI設立の話を聞き、会社立ち上げに加わることに決めたのです。IGPIに参画してまもなく、福島交通グループの再生支援案件がスタート。会社更正法の適用を申請し、会社更生計画の許可決定後は、同社の管財代理人となり、09年6月には福島交通の取締役副社長に就任、13年12月からは福島交通の代表取締役社長として当社の経営に携わっています。
今は、「経営」という、やりたかったことに取り組める環境にいますが、これも会計士としての経験やベースがあればこそだと思っています。どのような仕組みで数字が組み立てられるのかを理解しているからこそ、今、数字を通してその先のビジネスを見ていくことができているのではないかと考えています。
原発問題発生の中心地で決断・実行する
~震災対応、その時~
2009年、福島交通グループの経営を始めてまず取り組んだのは、人事評価制度の改革です。「組織は人なり」といいますが、社員のモチベーションが上がるような仕組みを作りました。営業面では東北初のICカード「NORUCA」を導入、利用者の移動の履歴をデータ化し、それをきちんと理解した上で、新しいサービスを提案する、利用者の立場に立った路線ネットワークの実現をめざしていったのです。そうした取り組みが実を結びはじめた矢先の2011年、東日本大震災が発生して状況が一転しました。通信環境が制限されて困難極まるなか、食料も水もガソリンも不足、加えて、目に見えない放射線についても情報が不足して現場は混乱に陥っていました。「この状況をどうmanageするか?」 出した結論は、「優先順位を決め、やらないことを決める」ということ。そして、やらないと決めた以外のできることはすべてやろうと考えました。こうした状況下で、まず注力したのは避難輸送です。最初の1週間ほどは甚大な被害を受けた沿岸部から内陸部の一次避難所への輸送を、その後は旅館やペンションといった二次避難所への輸送を担う中、福島では原発事故による避難者の一時帰宅問題がたちおこり、手探り状態の中で対応していく必要に迫られました。「取りあえず、一人ひとりに電話をして連絡をとるとともに、一時帰宅用のバスを走らせよう」そう決断した私は、「福島交通グループが引き受けます」と自治体関係者に伝えると、携帯電話を買い集めました。実は、グループ内には福島交通観光という旅行会社があったのですが、震災により業務はストップ状態、バスの工程表を作れるスタッフは揃っており、被災自治体で作成した避難者の連絡先へ電話をかける“手”もあったのです。もちろん、簡単に事が運んだわけではありません。気の遠くなるような人数に電話かけ、連絡を取り合い、帰宅日を確認。中継地点までバスで迎えに行き、一時帰宅を支援しました。夏場の暑さに加え、防護服を着用すればさらに暑くなることから、冷却剤や水、軽食のパンも積み込んで…。5月から始まった一時帰宅は12月末までに一巡し、合計1000台以上のバスを手配しました。ほかにも、原発事故の影響により外で遊べない福島県の中通りを中心とした幼稚園児・保育園児を対象に、思いっきり外で遊べる場所にバスで連れて行くプロジェクトを提案し、福島県ユニセフ協会のバックアップにより実現に結びつけました。このプロジェクトは2016年3月まで継続し、延べ約7万4千人の子供たちが参加、子供たちはもちろんのこと先生方や保護者の方を含め大変喜んでいただけました。